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映画と好きな本の感想など

たとえ絶望に満ちた未来でも、欲望を手放さない―――さらざんまい を観た

最終話まで一度観終わって、私が受け取ったものをとりとめもなく書いておこうと思う。

 

幾原監督の作品には熱心なファンの方々ほどには読み解いていないのだが、そんな私にでも幾原監督がこれまでの自作品のオマージュを散りばめて、というか、さらざんまいのキャラクターたちに再演させていたのが分かった。それもこれも、幾原監督は「これまで」を描いた上で「これから」を描こうということを視聴者に見せようとしていたのだろう。その「これまで」の部分はもっと強い解釈があると思い、ここでは述べるのに気が引けるので書かない(書けない)が、「これから」を描こうとしたのは、ラストのメッセージ、「そして、未来へ―――」とカッパの川流れしていくシーンからはっきりと分かる。さらざんまいは未来へと進んでいく物語だった。

未来には何が起こるか分からない。

大好きなサッカーが出来なくなってしまうこともあれば、長年自分を支えてくれた恋愛感情に終止符を打たなければいけないこともある。何も与えてくれない現実に、犯罪で反逆することしか出来なくなってしまうかもしれない。

もちろんそのようにならない可能性はある。でも絶望に満ちた未来が待っていたとしても、ひとは生きていける。いや、生きていかなければならない。希望も何もない現実でも、「それがどうした」なんですよ。

「それがどうした」は久慈悠が川へ飛び込む際の言葉だ。大切にしていたサッカーボールを投げ捨ててもつながりは途切れなかったかつての出来事と相似を見せて、そのシーンはつながりの再構築を表している(さらに、少年刑務所を出所して自らの命を「大切なもの」だと分かっていることも表している、と私は思いたい)。

未来には絶望が待っているかもしれないが、希望もある。久慈悠には帰ってくる居場所がいまそこにある。

(ちなみにここのメッセージでは私の大好きなアニメ「ノエイン」を思い出しました。こちらも是非)

 

さらざんまいは友情、愛、欲望の物語でもある。

ここで私が友情と愛と欲望を並列させてはっきり言い切れないのは、私が男性同士の友情に(ある一面において)不変のものを信じて愛情と読み替え(解釈し/誤読し)がちな人間だからだ。これは私の欲望でもある。偉そうに書いてしまい申し訳ない。それに、愛と欲望は判定する側によって変わる上に不可分のものだと思うので、分けては書けなかった。

私はどれだけ月日が経って見た目も思想も変わろうとも、出会って視線を交わした瞬間にあの頃の友情が蘇るという出来事が大好きだ。

作中で新星玲央と阿久津真武の関係で描かれたように、人は変わっていくものであり、その間にある関係性も時間の経過とともに揺らいでいってしまうものである。人生は続いていくのだから、何もかも変わらずにはいられない。それでも変わらないものはある。そう信じている。そう信じないと、私は何を信じて生きていけばいいのかわからない。

真武は死んでしまったことにより変わらざるを得なくなり、カワウソ概念により玲央も変わってしまったが、それでも変わらないものを玲央に伝えることができた。そのやり方は、十皿目で示されたように、玲央に話をさせるチャンスを与えなかったものだったので、判定が欲望ではあったものの、そこには確かに愛があった。

変わらないものを確かめ合う機会は、必死に、命をかけて手繰り寄せて、他のものをすべて犠牲にしてでも、切実に祈ることでやってくるのかもしれない。そういったことをアニメで観られて私は幸せだった。

欲望か、愛かは誰かが決めることだと思うし、欲望は時間の経過のなかにあっても変化しないものだとも思う。時間の経過の中にあっても変化しないものこそ、生きるために必要な命であり、私も私のなかの変わらない欲望を信じて生きていきたい。

 

変わらないものがあることを理解した大人である玲央と真武が、最終皿で流れ星となって一稀たちの行く末の暗闇を照らしてくれたのには涙した。このあたりはこの2つのテーマを結びつける描写のひとつだろう。

 

レオマブは十皿目で視聴者の視線の外側の世界へ行き、ツイートも消えてしまった。十皿目と十一皿目の間の一週間はそのことに対して、いつか枯れて後に残らない生花を二人に手向けて二人のことを忘れてしまうほうが良いのかと思った。キャラクターグッズを購入して彼らの形をこの世に残すことが冒涜であるかのような気すらしたので、公式にお金を落としたい気持ちと相反して余計に悩んだ。杞憂だった……みたいだが……(すいません、咀嚼できていない)

 

最終皿まで観た上でのとりとめもない感想はこのくらいにしたい。春河のこれからや、非実在性のカッパであるケッピが絶望と向き合って本物の王子様になったこと、一稀や燕太のことも考えたかったがこのあたりはもう少ししてから書くかもしれないし書かないかもしれない。

 

ありがとうさらざんまい。